2020.10.11

SEEKS思考

「エール」と「銀英伝」から戦争のことを考えた

朝ドラ「エール」、時代が太平洋戦争に入り、なんとなーく明るさから遠ざかっている展開が続いてますね。

この時期のお話、本来は8月に放送される予定だったのでしょうか。いろいろ考えさせられるので、ぜひ8月にやってほしかったものだなぁ、とも考える。

そして最近、「銀英伝」の原作小説についに手を出してしまったのですが(現在本伝3巻)、これも戦争のお話。

戦争を機に変化してしまったことっていろいろあるんじゃないかと思っていて、それが意外と現在まで尾を引いているのではないかと、考えるんですよ。

戦争は徹底的に「個」を失わせる

「エール」で描かれた主題と言うか、テーマの一つは「戦争中であっても、個人の考え方は尊重されるべきではないのか?」という考え方。

音楽は人の心を元気にし励ますものであり、戦争のために利用されるものであってほしくない、と願う人々がたくさん出てくる「エール」。

「戦時中だから」「軍人の家庭だから」「女性だから」というような理由で、自由な考え方すら許されない風潮が形成されていく。
「つらい」「しんどい」「(戦地に)行きたくない」「行ってほしくない」みたいなことは、表立って口にもできなくなっていくんですよね。

ぞっとするような展開ですけど、似たようなことは実は現在もある気がします。

特に教育。

学校教育は今でも「個」よりも「集団」を重んじる傾向があると感じています。

「個」を伸ばすよりも、「集団」の中でいかに浮かないか、悪目立ちしないか。制服や校則で「個」を消し、「集団」の一員として社会に出ていく方法を学ぶ。

実際の社会は、無数の「個」で成り立っていて、「集団」に縛られず働き、生きている大人もたくさんいるのに。
そういうことを少しでも学生たちに教えられる場があればな、なんて常々考えてるんですけど。

話がずれましたが、「集団」をまとめるために「個」を、半ば徹底的に消すという日本の統制行動は、実は今も受け継がれているんじゃないかと考えると、本当に恐ろしいです。

そしてやっぱり、そういう意味でも戦争はしてはいけないのだと思います。

肌感覚で、戦争には驚くほどたくさんの犠牲があると知った

「銀英伝」小説を読んでびっくりしたことがあります。
当たり前だろ!ってことなんですけど、

驚くような数の兵士が、どんどん死んでいくのです。

アニメでは主なキャラクターにスポットが当たっているので、彼らの戦い中心に描かれているから、その部下たちにどのくらいの犠牲が発生していたのか、見えにくくなってたのです。

でも実際は、彼らの下には何万もの将兵たちがいて、戦火を交える時点で何の損害も発生しないなんてありえない。

小さい戦艦・戦闘機から大きな旗艦まで、そこにはたくさんの兵士が乗っていて、彼ら一人ひとりには家族がいる。兵士ではない生活がある。

当たり前のことに思いを馳せると、一度の攻撃で驚くほどたくさんの人が犠牲となる描写に、正直胸が痛くなります。

この「肌感覚」というか、実際にどれほどの人が犠牲になっているのか、という部分をきちんと描いているこの小説は、素晴らしいと思いました。

主人公のひとり、自由惑星同盟のヤン・ウェンリーが常に悩んでいることですが、味方の犠牲を抑えたということは、つまり同じような犠牲を敵に与えたことを意味する。

敵の兵士が死ぬか、味方が死ぬか、どちらかを選ぶしかない戦争。

どちらにせよ、自分のやっていることは「人殺し」以外の何物でもない。
この部分にずっと苦悩しているんですよね。

だから彼は、「不敗の魔術師」と呼ばれるほどの戦争の天才だけど、心の奥底では戦争を嫌っている。平和な世の中がほんの数年で良いから訪れてほしいと願っている。

目の前で、びっくりするくらいの数の人が犠牲になっているわけですもんね。

その状況を目の当たりにした人なら、戦争はもうやめてほしいと考えるのは一度や二度じゃないでしょう。安全な場所からむやみに戦意高揚する人たちに、「何もわかってない」と言いたくなる。

これ、エールにも出てくる描写ですね。
裕一は自分が招集されなかったことに後ろめたさを感じている。自分だけが、安全な場所から戦意高揚を叫ぶことに、どんどん罪悪感を感じる。

こういう構図、どこか現代も変わってないような気がするんです。

権力を持つ人間は、実際に起こっていることに目を向けず、ああしろこうしろと言うのが仕事だという考えが、こういう経験から身についてしまったのでしょうか。

権力をむやみに振りかざし、権力のために労働する「個」を疎かにする組織は、必ず足もとをすくわれる。「エール」の中で、日本がこれから敗戦へ突き進んでいくように。

戦争と権力

歴史上、外敵からの攻撃で滅亡した国家は多くあれど、それ以上に、権力者が正しくそれを行使しなかったがために、戦争などで内部から疲弊して滅亡した国家は、それ以上に多いらしい(ヤンの受け売り)。

戦争をするかしないかを決めるのは、「権力」側の人間。だからこそ、正しくそれを用いることが必要なんですよね。
「権力」側の理論を押し付けるようなやり方では、本当の意味での統率は取れないし、それが組織の弱体化を、結果的に招く。

権力者は何を見極めるべきなのか、
「個」があってこその権力であることが、なぜ忘れ去られてしまうのか。

組織の中で、消してはいけなかった「個」がどれくらいあったのか。

短絡的に結論付けてはいけませんが、戦争を世界からなくすためには、「権力」の行使の方法を誤ってはいけないということ。

一人ひとりの「個」である私たちができることは、「権力」が正しく行使されているかを監視することでしょう。

見て見ぬふり、考えたくないから考えない、はいけない。それは、権力の暴走を許してしまう行為だから。

いやーどうでしょう。フィクションとはいえ、昔の話とはいえ、十分に現代にも通ずるお話です。

これを、いろいろな局面が変わりつつあるコロナ禍でやってくれたNHK(どっちの作品も)、素晴らしい。